及第点
やっと卒論が終わった(仮)
(文字数をただ無心で埋めただけ)
日本文学専門以外の人にはこれから書く文章はとても面白くない内容だと思うので、スルーしてもらって大丈夫です。日記として書き残しておきたいだけだから気にしないでね
友達の多くが、いやもう自分を除いてほぼ全員が散文をテーマに卒論を書いている中で、1人韻文を取り上げて卒論を書きました。本当に孤独で苦しい戦いだったなぁ
現代短歌の、生と死について書きたかったのに、前衛短歌に首を突っ込み、先生の言われるがままに前衛短歌について調べていくうちに随分とつまらない物になって、空中分解しかけたけれど、自分の関心はあくまでも現代短歌にあって、前衛を調べることは手段に過ぎないことに気付いたのが12月頭。遅すぎることは誰から見ても明白でした。
前衛の方がよほど資料も論文も量的に多いしやりやすさはあるけれど、そんなことしても何も面白くなくて、どうしても現代短歌の良さを、岡野大嗣の良さについて伝えたくて、本当に作業→何かを見つける→考察→文字に起こす、をひたすら重ねて今日を迎えました
今、この瞬間も、欠片も満足していません
こんな稚拙な文章を残して大学を卒業したとは言えないし、しっかりと自分目線の考察を残したい
残り1ヶ月で、もっともっと深いところまでたどり着けるように、自分の思うところをきちんと述べられるように思考と作業を重ねます、来年1つ目の抱負
✂︎- - - - - - - -キリトリ- - - - - - - - - - -
ここで1つ、この文章を読む誰かに岡野大嗣の良さが伝わりますように、短歌や俳句なんて触れたこともない、と言った人も次の歌を読んで、自分と重ねてみてください
『サイレンと犀』より
もういやだ死にたい そしてほとぼりが冷めたあたりで生き返りたい
死にたさを歌った短歌です。こんな風なツイートをしたことや見かけたことはありませんか
現代人の心情をすごく、鮮明に、端的に分かりやすく口語で描いているように私には見えます
✂︎- - - - - - - -キリトリ- - - - - - - - - - -
共感性がどこからくるのかに焦点を当てて論を進めているんですが、現代人にとって生きるってなんなのか、死ぬってなんなのか、岡野大嗣はどう考えていたのかが気になる所だけど、こんな抽象的で漠然としたテーマは卒論では結論を出せないようです、諦めも大切だと感じました、少し切ないけど
今日卒論を提出し、言われたこと
全部ギリギリだと。
まあそれはそうですよね、多大なるご迷惑を日常的にかけていることや、自分がギリギリになって困ることがめちゃくちゃ多い。
来年の抱負、何事もギリギリまで溜め込まない
どうにかなると思い込むのを辞める、少しずつでいいから目の前のことをこなしていく
後々の自分の処理能力に期待して妥協しない
いま、電車の中でこの文章を綴っているわけですが、私が思うところを短歌にして終わります
足音に釣られて急ぐ気持ちだけ 動かなければ日々夜は明ける
今日も、ありがとうございました
文章がぐちゃぐちゃですみません、どうにかします